決して難解な映画ではない。しかし、筆舌に尽くし難い。『太秦ヤコペッティ』を鑑賞した観客の多くが、この映画について語ることに躊躇い、悩むことだろう。
それもそのはず。本作の原点にあったのは、監督である宮本杜朗の原風景と現在を交錯させるという、かなりアクロバティックなアイディアだったからだ。
「映画は言葉にできない!」
そう言って笑う宮本監督に、なんとか構想から撮影、そして現在に至るまでの胸の内を語ってもらった。
――そもそもの構想はいつからあったんですか?
3年くらい前です。やから構想3年ですね。(完成までにかかる時間が)長過ぎる。僕は太秦に5才くらいまで住んでたんですけど、3年前にたまたま太秦を歩くことがあったんです。そしたら、自分の住んでたアパートとか保育園とかも残ってて「ええ!まだ残ってたんや!」って。なんでか怒鳴ってくるおっさんの家は新しくなってた。とにかく自分の原風景を感じたんです。人はいるんやけど、さびれてる感じがあって、なんかヒリヒリしてた。そのヒリヒリ感っていうのは今の僕にとっても大事なものやって。
で、その時の親父の年齢と、自分の年齢が同じくらいやなあと思ったら、昔の5才くらいの自分の気持ちだけでなく、親父の気持ちにもなれたんです。
――「ヒリヒリ」という言葉をもうちょっと具体的に言っていただけるでしょうか?
ケロイドに触るみたいな。かさぶた剥がす時とかの緊張感。それをヒリヒリした感じって言ってるんですけど。それを僕の原風景に感じたんです。
京都出身の宮本監督だが、現在は大阪に住み、大阪のバンドのPVや大阪のクラブ・ドキュメントの監督を務めることも多い。最早、決して親しみを感じる場所ではなくなっていた京都に、再び舞い戻ってきた理由は何だったのだろうか?
前作の『尻舟』もそうなんですけど、僕の映画って主人公がどうしてもアウトサイダーになってしまうんです。
ちゃんと会社で働いていて、家族がいて、っていう多くの人達が送っている生活とか、いつになったら撮れるんやろうと思っていた時期に太秦を歩いたんですね。そこで、自分なりの家族の話なら撮れるかもしれない、と思うことができて、いつかは太秦でそんなん撮りたいって思ったんです。それが3年前。出発はそんなんやったのに、不思議なことにやっぱりアウトサイダーな主人公になってしまったけど。
今、僕は大阪に住んでいて、大阪を中心に仕事をしているんですけど、そうしてると、京都で撮る必然性って見つけられなくなってきて。住んでたときから京都が好きじゃなかったから。大阪のほうが自分には面白かったし、向いていたんで。京都ってツッコミ文化やと思います。出る杭は叩くみたいな。大阪はボケ文化。出る杭はもっと出てなんぼっていうスタンスがある。
でも、家族の映画なら太秦で撮りたいなあと思った。“京都連続”シリーズにも上手く合うんじゃないかって。だから、今回のお話をいただいたときに、「やりたい話があるんですけど」って言ったんです。もう全部タイミングやね。
『太秦ヤコペッティ』は観る人によると、顔を背けてしまうほどの残虐シーンを含んでいる作品だ。しかしながら、その演出はどこか冷めていて、フラットであるように映る。宮本監督のどこか超越している視点は、どこから来ているのか?
主人公とか大切な人間が脈絡もなく死ぬとか、そういうことをやりたかったんです。因果応報なくやってくるのが「暴力」やと思うから。そこに理由があれば、どんなに「暴力的」であっても、「暴力」とは呼べへんと思います。ヤクザ映画でもよく喧嘩して血だらけになったり、鉄砲に撃たれて死んだりするけど、あれって「暴力」じゃないと思う。むしろ「調和」を感じます。
僕が小学生の頃友達と友達のおばちゃんと3人でマクドにおったら、知らんおっさんがバーってこっち来て僕の飲んでたコーラを飲んでどっか行った、ということがあって意味わからんくてめちゃくちゃ怖かった。今考えても意味わからん。人殴る方が「暴力的」やけど、知らん人のコーラ飲む方がよっぽど「暴力」やね。
実は、省二は最初の設定では、いきなり死ぬ予定やったんですけど、プロデューサーの志摩さんからノーと言われたので、なしになって、最終的に佐奈が何の脈絡もなく人を殺しまくってる。結果、そこに、当初描きたかった暴力が反映されてると思う。
――主演の和田晋侍さんは当て書きだったそうですが?
晋侍には『尻舟』にも出てもらったんですけど、役のせいもあるけど晋侍の役だけ、アイデアが色々と出てきてしまって。『太秦ヤコペッティ』の前に書いた脚本も晋侍が主人公。
もう、書く話全部、晋侍しか出てこなくなってしまってて。『太秦ヤコペッティ』だからというわけではなく、あのタイミングで映画を撮るなら何を撮っても主役は晋侍しかいませんでした。
――父親の百貫省二(和田)と息子の茂男(小沢獅子丸)はそれぞれ、宮本監督の分身にも見えます。
そういうところはあると思います。自分が親の気持ちにも子供の気持ちにもなれるって感覚から始まっているので。
カニが出てくる場面とか。あれ、太秦に住んでた子供の頃、親父がおっきいカニを買ってきたことがあったんですけど、それが生きているカニで、子供心にメチャクチャ怖くて泣きわめいた記憶からきてるし。もうほんまに怖かった。
親子が三人、川の字で寝ているところの並び方とかも、自分の子供の頃と一緒です。家の間取りも住んでたアパートと一緒。
――これまで自主制作で先鋭的な作品を連発してきた宮本監督ですが、今回はシマフィルム製作ということで、ご自身の中で過去最大の規模の制作現場に立つことになり、今までと違うやり方になったと思うのですが、いかがでしたか?
スタッフが多くなった、予算が大きくなったっていうのはもちろんあるけど、この仕事を続けていくからには、必然的にそうなると思うから、そういう状況で撮れるっていうこと自体が嬉しかったです。
逆に、状況が変わっていく中で、キャスト・スタッフの境目も曖昧で、友達だけで映画を撮っていた頃と比べて、ブレずにいられるか。それはちょっと意識しました。その一方で、周りの声にも耳を傾けることができたし。全部が全部、自分の言うことだけが通ればいいと思っているわけではないんでね。
――宮本監督の中で何かを「壊す」という意識は、どれくらいモチベーションになっているのでしょうか?
冷蔵庫は壊れたら使えへんけど、映画は壊れても使える。映画って別に何かの役に立つものじゃないと思う。映画は「冷えれば冷蔵庫」とかそういう類のものではないと思うし。いくら壊しても、また違う映画としてやってくる。
宮本監督は、映像においてはクリアなものよりもノイズの混じったものを好むという。『太秦ヤコペッティ』にもまた、意図的に粗くした画面や、緩急の極端な編集が次々に登場する。見易く、分かり易いものをよしとする昨今の傾向において、本作は「異色作」だとか「怪作」と呼ばれてしまうのかもしれない。
だが、同時に本作には、うっとりするほど美しい映像や音楽も登場する。
「汚いものの中に綺麗なものはある!」
やはり、笑いながら語った宮本監督こそ、語り尽くせないほど底の知れない人間なのだと思い知らされた。
2013.01.02
取材:石塚就一・田中誠一 構成:石塚就一
巨人ゆえにデカイ、DMBQなど数多くのバンドで才能を発揮しているプレイヤー、和田晋侍。ミュージシャンとして、国内外から評価されている和田氏だが、宮本杜朗監督作品『尻舟』でメインキャラクターを演じ、映画ファンからもその名を知られることとなった。
『太秦ヤコペッティ』では、晴れて主演として、再び演技の世界を経験。百貫省二という規格外のキャラクターを堂々と演じている。そして、本作では和田氏自身がサウンドトラックを担当。演技面のみならず、音楽面でも大きく作品のカラーに貢献している。
ミュージシャンとしての自分、俳優としての自分……さまざまな観点から和田氏に『太秦ヤコペッティ』を語ってもらった。
――宮本監督との初遭遇って覚えていらっしゃいますか?
あんま詳しくは覚えてないですけど、元々、挨拶くらいの面識はあったみたいです。映画の宮本としては知っていました。その時僕が監督に何か役やらせて欲しい、と。たしか、僕もの忘れがほんとにひどくて。当時、映画の宮本が『尻舟』の出演者を探していたときのことです。たぶん、それが最初かな?
あの頃は、僕の初対面の態度が相当悪かったらしく、僕の事普通に嫌いだったらしいですけどね。
――『太秦ヤコペッティ』出演の経緯を教えてください。
それも覚えてないんですけど。こっちから出たいと言ったのか、向こうから言ってきたのか……。でも、映画自体、宮本の作品にしか出たことがなかったから、軽い気持ちで「やりたい」と言えたんだと思います。
和田氏は『尻舟』以外にも短編『こぼれっぱなし』で宮本作品に関わっている。『こぼれっぱなし』では助監督を務め、裏方も経験。スタッフとしても演技者としても監督との呼吸を知り尽くしている。今回、『太秦ヤコペッティ』では、宮本監督と共に初めての商業映画に挑んだわけだが、違いは感じていたのだろうか?
助監督?いやいや恐れ多い。雑務こなしてただけです。ほぼ監督が全部やってた。僕撮影の最終日風邪引いて途中で家帰りましたし。がんばりましたけど。あまり、出演者とか、裏方とか、そういう意識も無かったです。
今回は、各人持ち場のあるスタッフやキャストがいる中で、初めて俳優としての自分の役割を意識して参加していました。
――役作りにおいて、監督からどんなことを言われたのでしょう?
「そのままでいいよ」、とは一番最初に聞いていました。でもそのままは怖いので逆に、こちらから、いろいろ聞きにいったりしてました。「ネットで演技についてこんなこと書いてるから、読んでみたら?」とも言ってくれて検索したけど、当然難しくて読めなかった。しかも英語やったんちゃうかな。
演技のことは分からないんで、台本読みまくって、あとは本番に気合いいれて自分に寄せていくだけです。それができてたら成功。できてなかったら失敗。普段の自分に近い役だから、最後は頭すっからかんです。
――夫婦役を演じたキキ花香さん(百貫佐奈役)とは演技についてどのようなお話をされていたのでしょう?
演技の話はほぼしてなかくて、読み合わせくらいです。男女のシーンを飛ばしながら。あと台本覚えるコツと。初対面だったので仲良くなれたらいいなと思いながら。
逆に宮本にはしつこいくらい聞きに行ったりしてたんで、そのときのアドバイスを第一にしていました。
バンドマンとして、激しいライブを行い、観客を熱狂させてきた和田氏。その存在感はスクリーン越しでも変わることなく観客に迫ってくる。人前に立ち、何かを成し遂げることがパフォーマーの条件だとすれば、彼には天賦のパフォーマーの才があるように感じる。音楽を演奏するときの感覚と、演技をしているときの感覚には共通点があるのだろうか?
自分でもそれは考えてたんですけど……。近いようだけど、全然違うようでもあるし……。撮影中のライブ感という意味では近いもの感じてたような。ただイッパイイッパイになってただけかも。
演技も演奏も、自分の中のスイッチが入る瞬間がおもしろいな。
でも、映像に音を付けながら思ったのは、やっぱり、演技と音楽は違いますね。当たり前ですね。譜面通りに出来ない所は同じかも。音符よりは読みやすかったですが、、。映画の演技って完成の過程じゃないですか。録画やし。録音には近いかも。わからないです。
――では、役柄を演じることと、本作のサントラ制作の感覚の違いはどうでしょう?
大きいところでの感覚は同じです。
自分と宮本やチーム全員が喜ぶものを作るという意味では、演技も音楽も方向性は同じでした。
ただ、モチベーションとしては全然違いますよね。一応専門ですし。その作業で、百貫省二を引きずることはありませんし、映像も二、三回通して観たら百貫省二すらもう僕ではない感じでした。
――どのような音作りを心がけましたか?
絵と合わさって完成する音楽にしようとは心がけてました。
漠然とでしたが、メロディとドラムのビート感がない世界の音楽にしようというイメージははじめにあって、それで全体を通して、映像の色や会話や物音の中で、音楽が合わさって、ストーリーが連続膨張していくような音を見つける、みたいな所から始めました。
あと、状況や感情の説明になるような音楽の使い方は極力したくないなと。極端に言えば何も関係ない音を付けていく感じです。
監督からは、「全体的にヒリヒリした感じ、女性の歌もの1曲、DODDODOの曲で終わる、あと自由」って指示があって。打ち合わせでもイメージは同じ感じだったんで、もう次の日からはひたすらレコーディングの連読でした。実は初見の時は真剣に、監督に「音楽いらんのとちゃう?」と思って言っていたんですが。
あとは、あらかじめ作った曲をぺたっと貼る的なやり方も出来るだけやめておこうと思ってました。
個人的には、音楽のそういう使われ方めちゃめちゃ好きなんですけど。えーと、『トレインスポッティング』みたいな。「あ、あの曲!」みたいな。
だけど、『太秦~』に関しては、音楽やバンドが持てるジャンルの色っぽさや時代感?うーん、、みたいなところが摑みにくい世界を目指そうとも。
和田氏の言葉の節々から感じ取れる宮本監督への信頼。そして、監督から和田氏への信頼。全ての分野で本作のキーマンとなった和田氏は、完成した作品を観て何を思うのだろう?
――特にお気に入りのシーンはどこでしょう?
えっと、全部です。
でも、全部って答えはしょうもないなあ。
ラストシーンとか、やっぱいいですよね。真剣にこんなアホなことやっててんなあ、この作品に関われてよかったなあと心から思った瞬間でした。もちろんいい意味です。あのシーン、現場は割と命がけでしたからね。
音楽もかっこいいです。
――では、苦労した部分は?
台詞が覚えられないのは苦労しました。
あと、役者としてのモチベーションを維持と持続すること。
ちゃんと向き合えたら、何かをやること自体は大体は難しくないんです。濡れ場だろうと残酷シーンだろうとできるんです。ただ、自分がどう動いててどう見えてるのかが判らないんですよね。俺だけかな?監督のOK!が100点中何点のOKなのか気になってみたり、など。色々超えてきたときは気持ちよくなったりしてましたが。
チーム全員がんばってるし俺もがんばろうと。
音楽に関しては、面白いと思ったのと同じくらい苦しみました。イメージたどり着けなくて、、三回は落ち込みました。とうとう夢の中でも録音しましたしね。もちろん録れてないんですけど。
――公開を控え、現在の率直なお気持ちをお聞かせください。
公開がすごく楽しみです。面白い映画だと思います。いろんなお客さんが足を運んでくれればいいなと思います。一人でも多くの人に観てもらって楽しんだり怖がったりいろんな事を思ったりしてほしいです。
ありがとうございます。
作品と深く繋がり、真剣に打ち込んできたからこそ、和田氏にとって作品を客観的に語ることはとても難しそうだった。そもそも、サントラ制作は現在進行中。もしかすると、和田氏はまだ作品の中にいるのかもしれない。
言葉を探しながら、どんな質問にも本心を曝け出してくれた和田氏。その才能が、今後も音楽界、そして映画界をかき回すことを願って止まない。
ちなみに、和田氏が手掛けた本作のサウンドトラックは、音源としてのミキシングにも徹底的にこだわっており、かなりヤバい仕上がりになること請け合い。必聴である。
2012.12.28
取材:石塚就一・田中誠一 構成:石塚就一